育休は、産後鬱からはじまった
2017年12月。
私の育休生活がはじまった。
産後鬱、夫との育児分担をめぐる対立、自身のキャリアプラン…。
それは、想像よりも過酷なサバイバルライフの幕開けだった。
はじめに自己紹介を。
新聞社で記者として働いていたが、2017年に第一子を高齢出産。
現在、夫と3人暮らしで育児休業を取得中だ。
望んで迎えた我が子との新生活。
だが、結論から言うと、私は産後鬱になった。
それには以下の3点の要素が大きく影響していた。
①孤立感
夫は平日も帰りは遅く、朝から晩まで言葉の通じない赤子とふたりきり。
生まれて1カ月は自宅にひきこもり、
その後も子供への感染症をさけるため、行動範囲は自宅とスーパーと公園のみ。
気づけばスーパーの店員さんとしか会話をしていないという日もざらだ。
それまで記者として数千人以上の人に取材し、毎日外で働いていた私にとって、
突然海の底に放り込まれたような劇的な変化だった。
②「自分」がなくなる
「母親とは無償の愛」とはよく聞く言葉だ。だが、現実はそんな美辞麗句で済むものではなかった。
食事、睡眠、すべては子供優先。自由時間などない。
病院でも、「○○(子供の名前)ちゃんのお母さん」と呼ばれる。
「自分」が、子供という存在に浸食される。あるのは「母親」としての役割だけだ。
ただでさえ社会とのつながりが薄れているなか、自分が透明人間になったようなむなしさを抱えた。
③キャリアへの焦り
入社以来、自分なりにベストを尽くし、ある程度の結果は残してきたつもりだ。
だが、納得いく結果を残せたかというと、そうは言い切れない。
仕事に対して達成感を得、一区切りをつけられてから育休生活に入れば、育児に集中できただろう。
しかし、中途半端な気持ちのまま育休生活に突入してしまい、「これでいいのか」という焦りが募っていった。
育児以外のことができない。復帰しても、当分は育児優先になり大きな仕事は難しいだろう。だが、子供はいつか巣立っていく。そのとき自分には何も残らないのでは…。
周囲は「母親も立派な仕事だ」と慰めてくれたが、それはただの「役割」であって、
自分自身の成果ではない。
同期の活躍や、他社のスクープを目にするたびに、そんな思いがこみあげ、叫び出しそうな焦燥感と不安に襲われた。
わけもないのに涙が出る。
他人と自分を比べ、「自分は価値のない存在だ」と思う。
しまいには、「死にたい」とすら願うようになっていた。
完全な産後鬱状態だった。